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橘右近・古今亭志ん朝・右朝・金原亭馬治の四連千社札額
と「右朝真打昇進口上書のセットである。故人からは右近の
作と聞いている。額の大きさは、縦23・5×横31・5セ
ンチ。中の白紙の台紙は、縦16・5×横24・5センチ。
さらにその中の千社札一枚の大きさは縦14・5センチ×4
・4センチである。
【右朝より志ん八】
右朝の名より、志ん八の方が妙に懐かしい! 私は若い
頃、「落語家になって、志ん朝師匠の弟子になって本望で
すか」と、志ん八に聞いた。「本当に好きなことは、商売
にしちゃ駄目だよ」と、彼はポツりと言った。あの時はそ
の真意がわからなかった。落語と寄席文字の二刀流を、流
暢にこなしていた志ん八だった。自らの筆でしたためため
くりを披露し、落語を熱ぼく語る姿からは、その労苦を垣
間見ることはできなかった。だが、私も老齢の域に入り身
障者となった今、古今亭志ん朝と橘右近という、偉大な二
人の師匠に仕えて、さぞ気を抜く間もなく、大変だったに
ちがいないと思えるのだ・・・。
志ん八は、入門から十年を過ぎ、いくつもの落語会の賞
を総ナメするほど、確かな芸と勢いがあった。だが、真打
昇進試験で、とんでもない結果が出た。林家こぶ平(現・
正蔵)が合格したのに、私たち落語ファンばかりではなく、
席亭からも高く評価されていた志ん八が、よりによって不
合格! 言うちゃなんだが、テレビの仕事が忙しくて、寄
席の前座時代から寄席をおろそかにしていた双璧が、こぶ
平と三木助(四代目)である。そのこぶ平が志ん朝以来の
最年少真打とは、私には信じられなかった。日芸同期で落
研仲間の高田文夫が、志ん八が芸があまりに上手過ぎるの
で、噺家の道を断念したのはあまりに有名だ。家元・談志
は、こう言い放った。
「あいつ(右朝)は稽古つけた噺を、翌日には完璧にこな
す技量とセンスがあった。こぶ平は、いつまでも素人口調
が抜けず、香葉子の政治力が頼みの綱。あの人間国宝の米
朝師が、こぶ平に頼まれて稽古をつけたら、本筋をモノに
する前に、噺を勝手にいじって披露。米朝師匠から『あん
さんの好きなようにやんなはれ!』と、匙を投げられた」
寄席の席亭たちも、さすがに志ん八不合格に怒り、結局、
落語協会は追試を行い志ん八を合格させた。
落語の精進だけでも大変なのに、志ん八は寄席文字の勉
強も怠らなかった。吉川英治の『宮本武蔵』の名場面で、
武蔵が一乗寺下がり松の戦いで、一人で多数の敵と闘うう
ちに、気がついたら二刀流をモノにしていた。志ん八は噺
家になってからも、落語と寄席文字の二刀流を堅持し、人
の知らぬ所で熱心に稽古していた。昭和63年6月に真打
昇進し、同時に『右朝』という最高の名を得た。
世間では、橘右近の『右』と志ん朝の『朝』からつけら
れたと言われた。しかし、今回の出品にお付けした真打昇
進口上書を御覧頂ければ、右近の右朝へ期待は更に大きく
強かった。右近は『朝』は〝大圓朝〟に通じるとまで厳命
し、集古庵は初代・二代と噺家としては大成しなかっただ
けに、右朝へすこぶる期待してしいたのが感じる。「生や
さしい了見では困る。器用貧乏になるな!」とまで厳命し
ている。
私が駆け出しの記者だった時に、作家・開高健先生の教
えを末席から受けたことがある。先生の明言の一つに「悠
々と急げ!」という箴言がある。一方、右朝は、ややもす
ると内向的になり、ストレスを溜めに溜めた。落語しか話
題のない右朝は、時に息抜きして、無理せず生きる術をし
らなかった。深酒をはじめ、いくつもの生活習慣の乱れは、
彼の肉体を知らず知らずうちに病魔が付け込んだ。声が出
なくなって、初めて医者の診察を受け肺ガンと知らされた。
平成13年3月、ハマでの落語会をハネたあと、志ん朝
夫妻、現・馬生、主催者の一行で中華街で宴が開かれた。
その日、私の愚妻も横にいたので「尻に敷かれるどころ
か土に埋められそうです・・・」と、師匠に紹介したか志ん
朝は、ニタリとした顔で「この野郎、なにノロケているん
だ!」言い放たれ、宴席で大爆笑を買ったことは、師匠と
の最後の会話になったので、よく覚えている。
この日、志ん朝は右朝の病について「実はヤバイ状況で
・・・」と声を細めた。ちなみに、右朝は翌月の29日に
遂に鬼籍の人となる。享年53歳であった。やっぱり、生
き急いだことにより、病魔の勢いを加速させたのだ。だが、
そう語った志ん朝も、幾分痩せていたが、大病が潜んでい
たいたことには誰も気づかなかった。てっきり、糖尿病の
ための節制と皆が信じて疑わなかった。そして宴席の最後
に、師匠はこう主催者に提案し閉めてくれた。
「今回は記念の節目、ほかの噺家さんたちが独演会だった
のに、あたしだけが一門会で申し訳けなかった。秋にもう
一度やりましょう」
半年後には、その志ん朝師匠も、63歳の若さであの世
に旅立っちまった。死は定めなのか。「よからんは不思議、
悪からんは一定と思え」との賢人の言葉もある。あの日か
ら20年の歳月過ぎた。実は私も、志ん朝・右朝両師と同
じ大病を患い、今や身体障害者となっても、根っからの落
語者として、昨日・今日・明日と奮闘努力している・・・。
【古今亭右朝の略歴】(1948年11月2日~2001年4月29日)
本名は田島道寛。昭和23年11月2日東京・台東区生まれ。
三人兄弟の末で、小・中学校は国分寺市内の公立。都立武蔵
高校、日本大学の芸術学部へ進み卒業。大学では落研に所属。
右朝が会長で高田文夫副会長。ふとしたことから寄席文字宗
家橘右近の門下となり橘右朝。その後、落語家に転進し昭和
50年に志ん朝に入門し志ん八を頂戴し、同名で55年二つ
目に昇進した。
研究熱心な性格と精進の甲斐あり、国立演芸場の花形若手
演芸会新人賞銀賞、NHK新人落語コンクール最優秀賞、に
っかん飛切落語会努力賞と奨励賞、花形若手演芸会新人賞金
賞などを受賞するも、落語協会真打昇進試験では、噺家のキ
ツイ洒落で不合格となる。しかし、彼に目をかけていた寄席
の席亭たちの猛抗議もあり、昭和63年6月に真打昇進(落
語協会100人目)となり右朝を名乗る。その後も花形演芸
会の金賞や大賞に輝く、将来、古今亭を背負う逸材として期
待された。真打昇進後、新宿・末廣亭で「こぶ平・右朝二人
会」や「右朝・正朝の二朝会」などを開き精進を重ねた。今
回、ヤフオクに出品した、この額を見るたびに、志ん朝・右
朝子弟の早すぎる死残念に思うばかりである・・・。
この額縁も真打昇進の口上書も、ともに良好な「上」の部類
の状態だが、とても古いものだ。なお額縁は、作品を保護する
ための廉価品なので落札された方は、お気に入らなければ、
改めて良い額縁に入れて飾って欲しい。送料は当方がサービ
ス負担します。