在銘『若翁』七十七歳 朱印『不知火人 菊如』朱印 『光琳』秋の画 / トップ 刈萱図

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在銘『若翁』七十七歳 朱印『不知火人』『菊如』  朱印 『光琳』秋の画 / 刈萱図 掛軸 茶掛け 茶道上部/長月庵若翁による後鳥羽上皇を踏まえた歌堀若翁 ほり-じゃくおう 1734-1814* 江戸時代中期-後期の俳人。若翁は肥前大村の藩士で、姓を堀氏名を徳輝通称孫左ヱ門、雅号を桃園・菊如・不知火人・白雲盧などと号し、経学に精通詩歌・俳諧の道に長じ、最後の住地の三重県伊賀市の愛染院故郷塚再興のときは年七十七だった。愛染院は三重県伊賀市にある真言宗豊山派の寺院である。文治建久年間に憲深僧正がこの地で後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し勅によって偏光山愛染院願成寺号を賜り、日向の法印鏡覚阿闍梨を開基とした。若翁は芭蕉の顕彰に尽くしたことで知られている。当寺は松尾芭蕉生家の菩提所でもある。芭蕉は愛染院のすぐ西で誕生し、29歳までこの地で過ごした。その後江戸、元禄7年(1694年)大阪市南御堂花屋で病没した。遺骸は義仲寺に葬られたが、臨終に馳せ参じた伊賀の門人、服部土芳、貝増卓袋は遺髪を奉じて帰り愛染院に埋め、故郷塚(こきょうづか)ととなえた。【翻】後鳥羽上皇の仰せられしほそき一すしのミことはを守りなから古翁の申され けるよしかるかやのすかたも 道のたよりかな 七十七老 若翁【訳】後鳥羽上皇のおっしゃられた「細き一筋御言葉」を守りながら古翁が申された由刈萱の姿も道の便り哉 解釈:(丈が高い)刈萱の姿もまた、道の便りにするところであることよ【註】 細き一筋の御言葉...松尾芭蕉の俳文である『柴門辞』に以下のような文言があり、これを踏まえたものと思われる。 後鳥羽上皇の書かせ給ひしものにも、「これらは歌に實ありて、しかも悲しびを添ふる」と宣ひ侍りしとかや。さればこの御言葉を力とし て、其の細き 一筋をたどり失ふる事なかれ。猶、「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」と、南山大師の筆の道も見えたり。 これは芭蕉の門人である森川許六との別離の言葉とのこと下部 /朱印 『光琳』秋の画/刈萱図上貼長月庵若翁の歌中の刈萱/オガルカヤの図。寸法:全体高さ158cm  幅31.2cm 画寸 高さ81cm  幅26.8cm再表装済みにて状態は良好です

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